2019年03月23日

東雲色(しののめいろ)

 ついてないなと思う。
 また今日も,行きそこなった。
11日に見送った「あの神社の町」に今日こそ向かう予定だったのに
今度は時季外れの悪天候予報に,二の足を踏むことになった。

 もちろん慎重に運転さえすれば,行けないこともない。
でも,そんなふうに神経を摩耗させてあの場に出向くのは良くない気がする。

 この「何となく良くない気がする」という肌感覚を侮ってはいけないと思う。
事実これまで何度も,この直感的な思いによって救われている。

 そんな経験もありながら,あの冬には妹の人生を救うに至らなかったのも
また事実だが・・・。
 ともあれ,あの神社への小さな旅は
「もっと気候が安定する穏やかな季節になってからね。」と,
何かが耳元で囁いているのかも??




 昨年秋に読んだある書評の中で
「死者にかつてのように会うことは出来ないが,
生きていた時よりずっと深く真摯に相手を想うことは出来る」
という意味の言葉を見出した。
 その通りだと実感している。
 この三年間,これでもか!という時間のかけ方で日々,妹の事を考え続けた。


 上記の書評中には更に,こんな内容の言葉も続く。
亡き者への贈りもので「時」の代わりになるものがあろうか,と。

 確かに「あの夜」から今に至る,考えを巡らせ続けたこの長い時間が
えりこへの捧げものだと言い得るのは確か。

 身内の者をあんな形で唐突に失ってしまった以上,
それまでと変わらぬ感性のままの方が,むしろ不自然なこと。
 ここからは,これを抱え込んだからこそ毅然と対峙できる物事だって有る筈。

 随分と昔,
日が昇り始める時間帯に好んで独り,車を走らせていたあの頃に
フロントガラス越しに見ていた,明け方の空。
 藍色から赤みを帯び,少しずつ明るむ極上の色合い変化の様も,
初めは渋々だった場所での仕事を受けると決めたからこそ,見る機会が生じた。


 えりこは戻らない。一緒に笑った時間は,過去にしかない。
 でも,間違いなく「有った」のも,また揺ぎ無く確かなことだ。

 
 仕事上で長く抱え続けていた逡巡にも区切りをつけた。
 何かを終わらせることでこそ新しい何かに出逢うことが出来る。
 言い古された,でも真実の言葉だと思う。
 
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2019年03月21日

サンライト


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 お彼岸が,春分・秋分の日の前後三日を含む一週間だと
正確に把握したのは随分と年齢を重ねてからだった。
 若い頃は,例年その時期毎に音として耳には入ってくるものの
「ああ,また オヒガン,ね」位の認識しかなく,
言ってしまえば関心が無かった。

 ごく近しい身内の者を次々に失う運命に見舞われて以降
お彼岸は特別なものに変わった。
 今日は妹,両親の遺骨を納めた各納骨堂へお参り。
命日の時とは異なり,どちらにも人が多かった。


 これから日足が確実に少しずつ長くなる。残雪も,ほどなく消える。
 
 「サンライト」という,そのものズバリの色名が有ることを知った。
黄色系統の,淡い色。
 日本の子どもは太陽を赤で描く場合が多いが
他国では,圧倒的に「黄色」が多いのだとか。
 確かにカミュの「異邦人」でも殺人の動機が「太陽が黄色かったから」。
読んだ当時は難解な印象が残った作品の一つ。


 
 意識の底に氷のように張り付く,あの夜の「白と藍色の闇」の印象から
数か月の間だけ解放される,暖かい季節が来る。

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2019年03月17日

焦茶

 分からないものを,分からないまま受け入れる力を表す
「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を最近知った。
 
 例えば,幻想色の濃い物語などを読む際に
何でもかんでも理詰めに事細かく論考するのではなく,
展開する不可思議な情況そのまま全体を眺められること。
 そうでなければ単なる味気ないものに堕してしまう,と。


 身の回りの出来事全てを理路整然と解決した方が,安心はできる。
 でも,世界が単純だった子ども時代ならまだしも
対象が広がり,各々複雑な事情をもつ者どうしの関わりになった場合,
事はそう容易く割り切れる「物語」ばかりではなくなってくる。

 突き詰めれば,「情緒」という観念が有るのか否か。
ここに行き当たるようにも思える。

 ストーリーなど既に分かっているのに何となく幾度も見てしまう映画。
 散りばめられたエピソードも暗記する程なのに読み返している小説。
 結局,その世界観に何か惹かれるものが有るか否か。

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 「トースト一枚焼いただけでも,香りが残る。
ましてや,長い歴史が有る建物なら猶更,色々な痕跡が」
 昔読んだ好きな小説にあった,こんな感じの印象的な例え。
 閉鎖空間となる大きな建物で精神的に追い詰められていく男の話。
 
 ある程度まで因果関係が語られながらも
結局のところ決定的な謎解きには至らない,長い物語。
 映画化もされ,大ヒットしたものの
根本的な部分での原作との乖離に不満を抱いたこの作家は,
後年,自ら監督して新たに長いドラマを撮り直した。

 ところが,
小説の描写を出来るだけ忠実に再現する形で撮られたにも関わらず
全体的な印象が緩慢で,成功とは言い難い出来栄えだった。

 映像全体に漂う,ヒリつくような緊張感や独特の美意識という点で
先行の映画化作品の方に,圧倒的な分があった。

 何とも,面白いな例だなと思った。

 正確なだけ。理論的に破綻が無いだけ。
それでは,心の深部は反応しない訳だ。
 文字でこそ,底が知れない闇を構築できた力量ある作家であっても
映像の世界は,また別もの!というのも象徴的だ。


 分からないまま様々な断片を受け入れるうち,思いもかけない糸口が表れる。
半ば夢物語のようだが,そんな期待も捨てきれず
未だ,ふとした細切れ時間には魂だの,再生だの・・・そんな事を考える。
 

 
ラベル: 時間 言葉
posted by yukimiko at 17:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

紅色

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 久々に,くっきり赤い薔薇を買ってみた。

 
 端正な花姿の紅薔薇を見やりながら
もう旧宅の庭は見る影もなく更地状態になったのだろうかと考えた。
 休眠状態のまま,根こそぎ引き抜かれただろう薔薇や様々な植物。

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 春先にでも一度,試しに見に行ってみようかと思っていた時期もあったが
今はその気が失せている。
 そこかしこ中途半端に,かつての面影が残る家を目にしたところで
空しいだけで良いことなど一つも無いと想像がついた。

 数年先,心の距離が「それなり」の状態に変わった後なら別かも。



 この春卒業の甥っ子に,贈り物を発送した。
 妹が存命なら直接持参したのだろうが。
 義弟から着荷のお礼と近況報告があった。更に,
日を改めて甥っ子本人からも,お礼の電話が入った。

 妹の死後,折に触れ届け物をした中には甥宛ての品も数度あったが
当人からの明確なお礼は,初めての事だった。
 義弟から「もうちゃんと,自分でしないとね!」と言い含められたか,
あるいは甥っ子自身の判断によるものか。
 いずれにしても,ああ,きちんと育っているな・・・と感慨があった。
 妹も,挨拶面の躾にはかなり気を配っていた。きっと満足だろう。

 本当なら直接,見たかったのだろうけど。


ラベル:
posted by yukimiko at 16:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月11日

パールホワイト

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 3.11。

 またこの日が巡ってきた。
 震災による特別な意味合いは勿論,個人的に「仕事上の記念日」でもある。

 

 夫の仕事が休みとなっていた今日,
本当は妹の最期の場となった神社がある町に出向く予定だった。
 けれど昨夜,私から申し出て取りやめることにした。

 先月の下旬から最近まで,
夫は勤務時間後や出張も含め,週末さえも常に仕事がらみの拘束が続いていた。
 やっと本当に久々に丸一日自由になるのが,今日だった。
 そこを更に緊張感を伴う長距離運転で埋めるのは,あまりにハイリスクに思えた。
 
 息子は既に一人で暮らしていけるかもしれないが,
それでも今はまだ,夫婦共にこの世から去るわけにはいかない。まだ。
 
 こんな事を考えてしまうようになったのは,
それなりに様々の「まさかの坂」を経験してきた為だ。

 遠出を諦めた代わりに
同じ市内にある,母方の祖父母が眠る霊園まで足を延ばした。

 家から見える山の稜線沿いに見える幾つかの白い光源が
方角から考えて,この霊園の物ではないか?と思いついた冬のさなかから,
はっきり確かめてみたいと思っていた。
 やはり,その通りだった。

 時代ゆえ,並ならぬ「苦」を強いられた祖父母。
そのゆかりの場からの光が,居ながらにして見える今の住まい。

 やっぱり,ここに決めたのは間違いではなかった。

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posted by yukimiko at 23:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

赤白橡(あかしろのつるばみ)

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 聞いたことの無い色名なのだが
妹が住んでいた家の外壁の感じに似ている。

 最初,妹の家の外壁は落ち着いたベージュ系だった。
私が望んでいたのに叶わなかった色味で,いいなあと思っていた。
 
 けれどあの2016年の3月。探し物があって出向いた時に違和感を覚え,
玄関先から後退して家全体を改めて眺め,やっと気付いた。
 外壁の色が変わっていた。「あの1月」には,全く気付けなかった。

 そう言えば
いつだったか妹が「今,外に足場が立ってて云々」という話,してたな・・・と
ようやく記憶と現実に繋がりが見えてきた。
 その位,あの頃は一日の大部分を「心ここに有らず」で過ごした。
真相に少しでも近付きたい思いが,辛うじてエネルギーを生んでいた。


 妹がピンク系の色味を選ぶなんて,かなり意外な事だった。
子どもの頃からこの種の色合いは好んでいなかった。
 ここで,「・・・まさかね・・・」とは思いながらも
ある可能性に思い至り,切なくなった。
 
 この壁のような暖色系は,私の方が好む系統の色なのだ。
 姑との同居が始まった頃,こう言われたことが有った。
「もうこれから,あんまり遊びに来てくれなくなるよね」
 私の好む色味に塗り替えることで,この家に愛着を覚えるようにしむけた?
 考えすぎだろう!とは思うものの。

 

 3月の月命日も過ぎた。
 既に昼日中の数時間は暖房無しで過ごせる穏やかな季節だが
個人的には考えるべき事,決断を下すべき事は様々有って,気を抜けない。
 色々シビアに判断せねばならない状況にある。

 数年先に,「ああ,やっぱりあの時の決断に間違いは無かった!」と
晴れ晴れと深呼吸できる日が訪れてくれるなら。
 



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2019年03月03日

紅梅色

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 桃の花を飾る,ひな祭りの時期がまた来た。
今年は菜の花,ピンクのスイートピーとガーベラがお供をしている。
桃がメインのはずなのだが唯一の黄色の菜の花も,かなりの存在感だ。



 妙な偶然とかタイミングというのは,やっぱり有る・・・と,また感じた。
 ここ3年程ずっと気になっていた本を,最近ようやく読んだ。
東大大学院医学系研究科の教授による,死後の世界に関わる話。
 
 著者の親御さんの「死の有様と発見の状況」は少々特異だが,
それが私の父の最期と酷似していたことに驚いた。
死の時期が5月の第一週であるのも同じだった。

 
 もう一つ。
「ミトコンドリア」という,かつて生物の授業で出合ったものの
日常生活にそうは出てこない言葉絡みで。
 以前読んだ,臨死体験に関わる本の中で,著者の
「人の意識はミトコンドリアにあるのでは」という仮説を見て
さすがに荒唐無稽すぎる気がして,そのまま忘れかけていた。
 
 ところが最近,それを鮮やかに思い起こす新聞記事を見た。
ある著名な開業医の方の講演に関する内容。

 「ミトコンドリアは,25億年ほど前に人の細胞に入り込み,共生関係をもった。
 もともとは,独立した別の細胞だった。
 独自性を持つ別個の存在だったものが,
25憶年もの長い年月をかけ,共に支え合って生きる存在となった」というような,
細胞の共生関係・進化の歴史から多様性を認める平和への繋がりが説かれる。

 図らずも両名ともに医学関係者。
理詰めで物事を判断するかに思われがちな領域に生きる方々の言葉だ。

 この種の謎深い事柄が更に鮮明になる時代は,案外近いのかも?






 

posted by yukimiko at 00:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月24日

柑子色(こうじいろ),レモンイエロー

 いわゆるビタミンカラー系の花を飾ると確かに気分は上がる。
 先週からテーブルに有るのは,ラナンキュラス。
淡いオレンジ系と,同じく濃くない黄色の。
 来た時には丸々した愛らしさが勝る様子の花姿だったが
数日経た今は,大輪の薔薇にも決して負けない華やかさだ。

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 先週の半ば,
十年以上の長い間に渡り何かとお世話になった仕事関係者の送別会に出た。
 こんなイレギュラーな時期の,唐突な送別会。
当人も直近までは意図していなかった,パワハラ的な形での退職だという。

  会の進行中,参加者の一人一人が順に述べる別れの挨拶を聞きながら
「ああ,いかにも形だけの言葉」と分かってしまう度に空しくなった。
 辞めていく当人への惜別の為と言うよりも,
「冷たい人」という評価を回避するため,形だけの参加らしい人も散見された。
あるいは,退職に追い込んだパワハラ出所の人物への反発心から。

 私自身はと言えば感謝の思いは確かに有りながら,同時に
「因果応報」という言葉も間違いなく脳裏にちらついていた。
 ここ数年かなり慣れてきてはいたものの,この人物と関わり始めた当初は
「どうしてこんなに,妙に偉そうなんだろう?」と思っていたから。
立ち位置に相応の言葉や振る舞い方からズレていた事が多々有ったのでは。
 
 人は自分の本当の姿を,自分では決して眺めることが出来ない。
鏡に映るものさえ,反転した影でしかない訳だから。

 今回不本意な退職で去っていったこの人物からも
最後まで,己の言動には何ら間違いなど無かった!と,信じる気配を感じた。

 それを指摘する役割は「私の立ち位置」ではない事も明らかなので
笑顔で別れた。

 ある意味,冷酷か。でも,これが世の中というものだろう。

 
 けれど。妹に対しては間違っていた。
 もっと,あんな結末に至る遥かに前の段階で,
「厳しさ」が必要だった。
 明確に分かっていても,戻れはしない。
 だから,今の私に出来るのは
妹が好みそうな花や物を買い,当人の姿や言葉を思い返しながら暮らすこと。
 決して忘れることなど無いと無言で伝えながら日々を過ごすこと。
 
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posted by yukimiko at 19:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする